むかし宮田にお稲荷様を勧請しようと松戸宿の人々は京都伏見のお稲荷様に出かけました。道すがら草加宿の人々に出会いましたが、やはり京都伏見のお稲荷を迎えに行く途中でした。
お互いに話が進む中で、京都までの道中を東海道と中山道とにわかれて競争しようということになりました。
松戸宿の人々は草加宿の人々よりも一日早く伏見稲荷に到着したので真っ先にお稲荷様をお迎え出来たそうです。それでこのお稲荷様には宮田稲荷という名のほかに「まっさき稲荷」と言う相性が付いたと言います。
【別説】
むかし松戸宿で大火事がありました。その時に宮田のお稲荷様は伏見に出かけていて留守でした。しかし急を知ったお稲荷様は京都から真っ先に駆けつけてくれたので、人々は「まっさき稲荷」と呼び伝えるのだそうです。