江戸・千住宿(足立区)と茨城・水戸を結ぶ水戸街道は、江戸時代初期に幕府の直轄工事で整備されました。東海道などの五街道に次ぐ重要な道「脇街道」と呼ばれ、道中奉行の配下にありました。
徳川御三家の水戸藩主は「定府」とされ江戸に居住していたので参勤交代はありません、代わりに江戸と水戸の間で頻繁な連絡が必要となるため、藩士が往来した水戸街道の各宿場町には水戸家ゆかりの寺社や伝説が多くあり、小金宿などには水戸家専用の宿舎もありました。
「宿駅」に定められた小金宿や松戸宿には人馬が待機し、次の宿までの中継輸送「継立(つぎたて)」を行いました。輸送のための人馬が不足する場合は「助郷」と呼ばれた近隣の村に提供の義務が課せられました。