松戸市北部の江戸川流域は江戸時代元禄期(1690頃)から新田開発されますが低湿地のため洪水が頻発します。
1781年、名主渡辺庄左エ門が下流への開削を幕府に願い出ますが下流の村は干ばつを恐れて反対します。
1812年、父の死後世襲した次代の庄左エ門は松戸宿までの開削を行いますが高低差の少ない地形のため水害対策にならず、さらに下流への開削を願い出たため下流の村との対立は続きます。
1833年、事業は引き継がれ、孫にあたる次々代の庄左エ門が下流への工事のため測量を行いますが反対する村民との間で争いとなり死者も出たため奉行所が調停し1835年には下流への開削が始まります。その結果、多少の効果はありましたが決定的なものではありません。
1909年に樋野口排水機場が作られ蒸気ポンプの排水が可能となります。のち1932年からの新坂川の開削によって洪水は避けられるようになりました。庄左エ門三代にわたる苦労は今では街中の水辺として貴重な自然環境をもたらすこととなりました。