この丘を「相模台」と呼ぶのは、鎌倉幕府第6代執権の北条長時が岩瀬に築城の後、家臣をはじめのちに入道した北条相模守高時がら居城したという伝承に由来します。
小高い丘からは江戸川方面への見晴らしが良く、砦を築くには適地でした。
この地は天文7年(1538)足利義明と北条氏綱「相模台合戦」として一戦を交えた場所で「けいせい塚」の伝説が残されています。
江戸時代を経て明治維新の後、明治38年(1905)ここに馬場が作られ競馬が開催されます。しかし狭い敷地に規定の距離を設けるため急カーブとなったコースでは落馬事故も多く、大正7年(1918)に競馬場は船橋市に移転し現在の中山競馬場となります。
翌大正8年、ここに陸軍工兵学校が開校すると松戸は軍都としての性格を帯びてきます。公園正門には工兵学校当時の門柱と歩哨舎が残っています。また、現在の新京成電鉄は当時の工兵学校の演習線として敷かれた軌道が元になっています。
終戦とともに工兵学校は廃止、校舎跡は昭和39年(1964)まで千葉大学工学部として使われます。公園内には陸軍工兵学校と千葉大学工学部の記念碑があります。
松戸中央公園周辺は、春は桜の名所として知られています。