江戸時代、荷役や軍役のために馬を大量に確保する必要から幕府は各地に直轄の「牧」を設け野馬を育てました。慶長年間(1596-1614)東葛飾一帯に「小金牧」が設けられ、松戸周辺は「中野牧」と呼ばれました。当初、牧の管理は野馬奉行綿貫氏が世襲で一手に行いましたが、のちの享保年間(1716-35)将軍吉宗の牧改革により牧の中央部にあって江戸への交通の便も良いこの地に牧を管理する陣屋が設けられ、以後は金ケ作陣屋を中心に牧が運営されます。野馬奉行の配下で牧を運営する牧士(もくし)には名主などの有力農民が任命されることも多く、その身分は武士に準じており、年1回の「野馬捕り」の指揮や月6回の牧巡視などを行っていました。松戸周辺の新田開発は吉宗以前から着手されていましたが、陣屋はその拠点でもありました。
(注)さくら通り沿いに建つこの標柱の位置は金ケ作陣屋の北西端にあたります。この南東にある「門前公園(園内に説明版あり)」南側の道路が旧来の道にあたり、道に面して陣屋の長屋門があったと伝えられます。「門前」というこの地域の名称もこの門に由来します。