旧日本軍は大正7年(1918)に移転した競馬場の跡地を接収し、翌大正8年ここに陸軍工兵学校を開校します。当時市内近在には演習場も点在し軍人や軍関係者の往来も増えて街は軍都としての性格を帯びてきます。
中央公園南側入口にはレンガ造りの正門とコンクリート造りの哨戒舎(しょうかいしゃ=警備詰所)が当時の姿で残っています。
工兵学校は江戸川河川敷や胡録台・八柱など市内各地に演習場を持ち、各所への輸送のために鉄道も敷設されました。この線路がのちに新京成電鉄開業の際に利用されます。
【解説】新京成電鉄